日本に知らない人はいないのではないかというくらい、有名な飲料メーカーのアサヒグループ。
その中のアサヒビールは、創業から100年以上の歴史を持つ老舗の酒造メーカーで、5,000人以上もの従業員を取り巻く、社長の塩澤賢一さんについて調べてみました。
プロフィール

- 塩澤賢一(しおざわ・けんいち)
- 1958年9月19日生まれ
- 東京都出身
- 慶應義塾大学卒業
公認会計士を目標に慶應義塾大学に入学された塩澤賢一さん。
当時数学が得意で公認会計士の合格者数1位の慶應義塾大学に入学したため、順調に進むと塩澤賢一さん本人も思われていました。
当時(’70~’80)はボウリングがとてもポピュラーだったため、塩澤さんも虜になり大学1年時からボーリング部の役員になり、日々ボーリングに明け暮れたそう。
好きなことはとことんやり込む方なんですね。
アルバイト先も、もちろんボーリング場で公認会計士の目標は雲散霧消していたそうです。
ものすごいボーリング愛!!
本末転倒ですw
そんな中、就職活動が始まります。
派手に広告宣伝していて、かっこいい
アサヒビールを受けた理由は塩澤賢一さんの直感ですね。
まさに,切れ味のいい選択をされました!w
塩澤賢一さんのアサヒビールでの経歴
アサヒビールに入社後は京都支店、関東支店(栃木県)の営業マンとして働き、当時のアサヒビールのシェアは全国で10%ほどだったそうで、塩澤賢一さんはどうにかシェアを伸ばそうと努力されました。
- 自社の自販機の掃除・修理
- 他社の自販機を掃除
- 営業先の店先の掃除
- 棚卸しの手伝い
訪問数を増やし、今の自分にできることを徹底的に行い、確実にシェアを伸ばしていきました。
当時のアサヒ飲料社長の菊池史郎さんに
「先輩たちみたいに売れるようになるには、どうしたらいいか。」
と尋ねられたそうです。
そんな熱意がある塩澤賢一さんに対して
「売れるコツは、愚直になること。」
という言葉に塩澤賢一さんの営業魂に火がつきました。
尊敬している人からの言葉はなぜかスーッと入りますよね。
そこから塩澤賢一さんの実力が発揮されました。
その後の経歴はこちら。
- 執行役員営業戦略部長
- 取締役兼執行役員経営企画本部長
- 常務取締役兼常務執行役員経営企画本部長
- 営業統括本部副本部長
- 常務取締役兼常務執行役員営業本部長
- アサヒグループ食品取締役副社長
- アサヒグループ食品取締役社長
なんだかもう漢字がありすぎてすぎてわかりません!!w
アサヒビール入社後、アサヒビール愛で現在の社長にまでなられ、塩澤賢一さんの努力が伺えますね。
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塩澤賢一さんの年収は?
そんな人生をアサヒビールに捧げていらっしゃる塩澤賢一さんの年収も気になりますよね。
5億…!?
いや、もっとですね!!
桁違いですが、塩澤賢一さんの今までの経歴や数々の努力の結果なのでしょうね。
アサヒグループの会社情報はこちら
まとめ
日本の飲料業界を牽引するアサヒグループ、アサヒビールの社長の塩澤賢一さんについてまとめました。
やっぱり、トップになれる方は学生時代から何かに没頭する習慣がおありなのですね。
これからアサヒグループからどんな革命が起こるのか、楽しみです!!
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